小学校から「教室消毒のお願い」というメールが回ってきました。
もちろんコロナウイルス対策のためです。
6月から分散登校が始まり、午前と午後に分かれて登校しているのですが、その入れ替わりの際、机や椅子などの消毒作業は先生方が行っていました。
でも給食が始まると、その時間が取れなくなるとのこと。
そこで保護者に協力の要請が来たのです。
定員は書かれていませんでしたが、締め切りまで3日ありました。
1日経った頃またメールが届いたので「再度のお願いメール」かな?と思って開いたら、
「お手伝い募集打ち切りのお知らせ」だったのです。
どうやら予想以上に希望者がいたようで、お断りの事態になる前に打ち切ります、とのこと。
今回は特別な状況(コロナだから…、在宅勤務だから…)というのもありますが、それでも平日の昼間にも関わらずたくさんの保護者が名乗り出たのはすごいなと。
子どもたちのために
先生の負担を減らすために
できることがあるなら協力したい
という気持ち。
本来、人は誰かのため役に立つ行動を好むもの。
人間が幸福を感じる4大要素は
自治:どれだけ人生を自由にコントロールできるかどうか
多様性:仕事や人間関係に多彩さがあること
困難:人生のタスクに適度な難しさがあること
貢献:他者の役に立っているかどうか
「最高の体調」(鈴木祐)より引用
なかでも飛び抜けて影響が大きいのは「貢献」で、自分の行動が他人に良い影響を与えていると確信できたときほど、貢献度は高まるのだそうです。
アインシュタインが学生から「人間は何のために生きているのですか?」と質問されたとき
「他人の役に立つためです。そんなことがわからないんですか?」
「最高の体調」(鈴木祐)より引用
と答えたとのこと。
PTAもボランティアと言われる活動のひとつですが、ときに自己犠牲をともなう場合もありますよね…
PTAのために仕事を休んだり、持病の不安を抱えながら参加したり。
そもそもボランティアって?というところから始まるわけですが、どうやら海外と日本では認識に違いがあるようですね。
そういえばオリンピックボランティア募集の際も話題になりました。
日本だけボランティアの意味がおかしい!無償と有償について海外との違い。│葉っぱとみかん
ただ、この自己犠牲の精神はなかなかなくならないと思います。強いる人もいますしね。
また、人によって自己犠牲の線引きも違うので他人が簡単に判断できるものでもないと思います。
「あの人こんなに色々やって、大変じゃない?」さぞかし自分を犠牲にして頑張っているんだろう…というふうに見えても本人は「好きだからやってる」だけだったりするんですよね。
もちろん逆に
「好きでやってるわけじゃないのに、好きでやってると思われて色々押し付けられる」という場合もありますね。
前者はまあ害はありませんが、後者は対策する必要があります。
それは「ここまではできるけど、ここからはできない」という線引きを自分の中に決めておくことです。
その場でとっさに判断するのは難しいので、事前に考えておくといざというときひるみません。
もし気乗りしないものを引き受けてしまったら、その中で少しでも自分に役立つ部分はないかなどメリットを見つけ出すようにすると、ネガティブな気持ちから抜け出すきっかけになるかもしれません。
いつまでも「ぎー!やりたくなかったのに!」と思っていてもいいことはありませんからね…。
私も長年囚われていたことがありましたが(PTAじゃないことでですが)でもそれに囚われている限り進めないんだなあと自覚するようになってからは、少し楽になりました。
どんなことでもとらえ方しだいで見方は変わるものです。
参考文献「最高の体調」